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エヴァンゲリオンのOP部分。途中になっているが、それはそれで。

各カットについて、何が描いてあるか読み取ろうとすることは本編(のはじめの3分だけだが)でやったので、OPではあえてこれをしない。
むしろこのOPは各カットに与えられた時間が極端に短い、意図的に一時停止しながら見られる事に耐えるようにしてあるように思う。これを一カットずつばらす分析の仕方は演出の手中にハマっているという気がする、のはエヴァンゲリオンの解説本の読み過ぎなのかもしれないが。あくまで、エヴァ自体の分析にならないようにしておかなければいけないことに注意しよう。俺が。
そして、改めて思考から書く事にする。昨日までに書いた事は現象学的でないと寝て思った。

OP冒頭からタイトルまで、基本はバックの色の移り変わりだが、線として描かれているものもある。とはいえどちらも何を示しているのかよくわからない。まず黒い画面にしずくが落ちて、波紋のようなものが描かれる。画面は赤(使徒っぽい顔のある絵)→青(木からユラユラ)へと移り変わる。
まず個人的に、この色の移り変わりには奇妙さしかおぼえない。アニメーションが始まってから、この段階までに黒・赤・青しか色が出てきていない(しかもそれは、キャラクターやオブジェクトに与えられた配色のように、「あるべき」と意識できる色ではない)ので、意識の中で色を相対化できない。このアニメにおける一般的な配色が分からない。赤が海の色でない可能性を否定できないような状態になる、偶然だが。直感として特に何も連想する事が無かった。
次に線として描かれているもの、についても知識が無いのでなにも言えない。何か意味はあるのであろう、という事を予想するしかない。むしろ、そう思わせるためだけの演出のようにも感じられすらする。この点がおそらくこのOPの特異的かつ上手いところで、誰しもがわかるようには作られていない。あるいは、誰もわかるようには作られていない。そして映像作品としてそういうものを許してしまうところに面白さがあるように思う。
その後ものすごいフラッシュ。という印象は、白黒が入れ替わっている「ほどの」光と見える印象からか。音楽とあわせているようだ。
タイトルロゴではじめてカラフルなもの、あるべき色のついたものが描かれる。ロゴそのもにだけれど。同時にロゴのバックで最初と同じ(と俺は思う)波紋が広がるのが描かれる。なにかはわからないが、同じものと直感した事だけ書いておく。
その後さきほどのフラッシュとおなじ描かれ方をした光が白黒反転して描かれる。
ロゴの後は、OPとしては異例の長さでさほどの動きのないシンジが映っているように感じられた。同時にシルエットによってキャラクター紹介的なアニメのOPとしての使命を果たそうとしているように見えるが、それに正面に映っているはずのシンジ自身も含まれているのがミソか。
同じようにミサトさんも描かれる。バックはオレンジ色だが、シンジの青色との対比という風には感じられない。のは、きっとエヴァでのちのち出てくる溶液の色だとわかっているからだろうが。要素を並べて無駄に情報量をかせいだようにも見えるが。ここは逆にバックに映る人物が絵付きで、正面がシルエットで描かれるが、偶然かどうか。単に絵としての映えとか、裸のミサトさんを描いていいものかといった視点を欠いてはいけない気がする。

パカパカといろいろなカットが挿入されるが、ひとつひとつ見ることはせずに、まとめて単にエヴァンゲリオンの起動過程だと捉えるのがいいと思う。動き出すシンジとエヴァ。ここでもう一度パカパカが入るが、登場人物の顔である。これをあえて、要請された演出と見る視点があってもいいように思う。というか、そう思った。最初に起動過程のカットを挿入してしまった「あまりに、」(これはドラグナー等のパロディーあるいは定番のサービスだと考えられる)ここにもキャラクターの顔を入れざるを得なくなったという風に見ることは可能だとおもう。

その後エヴァンゲリオンのシーンに戻る。かっこいい。手をクロスして開くかっこいい動きをしているが、止めながら見ると不自然な、かっこつけた動きであるとは思った。だからどうだとは言わないが、ガンダムのような単なる機械ではなく、中に人が入っているという事でこれが許されるか。逆に機械的な動きだけをするロボットだと最初に印象づけることが出来たのかもしれない。
伸びてくる羽の線の太さが、OP冒頭の絵と同じように描かれていることに注目すべきだろうか。

このアニメのパカパカするカット(のひとつひとつに大きな意味があるという態度)に批判的な姿勢をとりづつけると、サビ部分のパカパカも並べただけ、並べることを演出に仕立て上げることで許しを請うているように感じることはできるはずだ。許しという印象を受けるのは実際許していい手法であると感じられるからだろうが。実際、本編の使いまわしではないかと思うカットもいくつかある。
同時に、一時停止で見させようとしているという意図も




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エヴァンゲリオンAパート(1)
先ずは、カット毎に止めながら見ていた。先週部室で夜桜四重奏を停止して眺めていたので誰しもそうするものだと思いこんでいたわ。途中で飽きたので、最初の3分ぶんしかないが。個人的にはなかなか勉強になったが、制作論の発見に終始するだけで他の人の意見との絡みは無い気がする。こう作っているのがわかる、だからどうだという事について語らなければいけないのか?今は語り得ないね。

番号を振ったがカット番号とは関係無い。面倒だから書式なんかもあわせない。

1:一番最初のカット ロゴ:時に、西暦2015年→ヘリ音
 こんな言い方が許されるのか許されないのか知らんが、「一般的に」、アニメーションにおいてロゴだけのカットを用いるときには、視聴者を画面に引きつけるための相応の効果音を伴っているように思う。(ルパン3世のサブタイトルや、この作品内でもアスカ、来日の回など)が、このアニメの最初のカットにはそれがない。意図的に排しているような印象を受けた。その代わりとして第二カットのヘリ音がきているようだ。演出としての無意味な音を避けたマクロス7的な発想のような気がするが、後のBGMはその存在感を隠す事がなく、あくまで一番最初のカット、あるいはサブタイトルまでの処置か。

2:今でこそ海に映った日に見えるが、他のものを描いている可能性はいくらでもあったのか。あるいは、ヘリコプターの音と併せることで少なくとも広大な水面上をヘリコプターが移動している事がわかるので海という連想のさせかたをしているのかも知れない。こいつ頭いいな。

3:半分沈んだビルの絵を上になめての使徒
 音がウルトラマンの戦闘機の音みたいだ。だからどうということは、ない。使徒の影が映るがごく短時間だ。全影を見たがらせるという思考誘導だろうか。

4:すぐ見れた。しかも、使徒が動いてくる事だけでなく全体を見せるためのサービスカット。この使徒には推進力というものがないのか。このあと、速度が変化するのもこの疑問を推す。意図としては不気味さの演出といったものしか思い浮かばない。このカットを見ると同時に、前のカットが使徒が陸へ近づいて行く方向性づけをしていたことがわかった。気づかなかった。

5: 並んだ戦車という光景とセミの声という音声、止め絵という描き方のチョイスで待ち構えていた事を表現している。戦車のエンジン音がなくセミの声だけが聴こえるのも演出か。本当に止まっているのかも知れんが。戦車はあえてか当然か、緑色で実にザコっぽい。
 
 ここまでを通して見るとわかるが、最初のヘリが「右→上」へ移動している(その視点で画面が描かれている)→逆向きに向かってくる使徒が「下→左(水中)」へと描かれて(ここまでの物理的距離は一連である)、(突然距離が飛び)戦車は右向きに砲を向けている→砲の先は海、という風になっている。向きの意味付けというよりは、カットのつながりとしての自然さを優先してもこのような配置になる気はするが。

6:砲のうえに止まったトリが待機と緊張の演出にダメ押しをかけるが同時に開始の役割も果たす。水しぶきがあがる。でかい。怪獣大暴れの予感だけをもたせる。或いはそうではない水しぶきなんだろうか。

7:水しぶきがあがったのに、まだ陸に上がってくる使徒を見せてはくれない。撃ったりもしない。しばらくおあずけになる。水しぶきのカットが相当短かった事にも意図はある気がするが。後にわかるが、おあずけになる、というよりは、このアニメでここだけだが、おそらく徹底してリアルタイムで描かれているのでシンジを映している間は映せないんだ。
人の声がはじめて入るが、一番最初に文字のカットが入っていたりするからか最初の人間の声、言葉というイメージはあまり強くない印象をうけた。音量の調節も巧妙なのではないか。内容は状況解説だが・・・

8:状況解説なナレーションに加えて絵を見せる事でナレーション以上の表現を為している。つまり、避難を呼びかけるナレーションに対して、絵では誰もいない往来を見せる事で、(一部以外)避難は既に終了している実際の状況がわかる。意識を音と画面を往き来させる事でのあわせ技。文章にすれば改行を伴うようなこの描写を一度に為せるのが映像媒体で物語をつくることのひとつの真骨頂な気がする。
 マンガでもこういう事はできないだろうという直感はある。推理するに、そうか。静寂の表現には時間進行が必要であり、時間進行を読者に委ねた漫画には限界がある。漫画を自然に読むとき、吹き出しの中にあるセリフだけの時間を各コマに要する、それだけにしてしまいがちになるんだな。マンガは何もないを表現するのに向かない。アナウンスがマンガに書かれた時、その音量とバックの静寂を表現する事は困難だ。

9:誰かが線路を横切って走っている。本来、ありえない場所ありえない行為なんだろうが。このカットをぱっと見るだけではあまり違和感を感じない自分には鉄道のイメージを読み取る素養がないように思う。

10:個人的には並んだ電車にも違和感をあまりおぼえないが、左右対称にしてくれているので奇妙さだけは感じ取れる。作り手のやさしさか。鉄道好きなら回送せずに放置されている事に緊急事態的なものを読むのかも知れない。なぜ前のカットで少年が走っていたのか予想をつける。

11:赤信号の交差点。車が全部緑に見えるのは軍のものだからかしらん。それにしては雑な放置のしかたなので意図的な演出か。緑色にする事自体に意味があるのか、単にカラフルに車を停めた絵を描く事を拒んで青と緑、赤信号といった色の配分を重視したのか。それとも唯一緑色でない車が右から走ってくることへの。後で出て来る車も緑だからただのダミーなのかも知れない。

12:ミサトさんの声。いちばん始めの肉声と言っていい。ハンドルを不自然に振っている気がするが。意図を読むなら、静止で人のいない感を出してきた事に対して無理矢理に逆の事を為そうとしている。それでも、車が爆走していたりはしない(ように見える)。人探しをしているという設定からか、それともゆっくりと静から動へ入って行くためか。

13: ミサトさんの脚、明らかに、いや明らかかは疑うべきなのかも知れないが、一般車両のものではない通信機器、少年の写真。このアニメ最初の、キャラクターの顔であることはおそらく意図的な演出。使徒の顔は見えてたけど。一番最初の顔に誰を持ってくるかを相応に重視しているように見えるが。

14: 写真から肉顔。電話。「ダメか・・・」の後にわざわざ、「やっぱり来るんじゃなかった」で一度視点を変える。標識が写って、「どこに」来たのか判らせるためだろうか。(標識は行き先が書いてあるだけでここがどこかはわからないが。)あるいは、顔のカットを長々と映す事を敬遠したのか。ここまで、このアニメは異様にパコパコとカットを並べてきている。標識にも意味があるとするなら、このアニメは静止しながら見ることに耐えられるよう作られている、もっと言えば静止しながら見る事を薦めているような印象を受ける、が、ここでもまだそれほど典型的では無い。
電話から流れてくるアナウンス、林原の声のイントネーションが不自然だ。なように感じる。それでもって機械的なアナウンスを表現しているようだが。そしてここでも音量が絶妙に絞られる。声優にとって音を絞られるような演技をする事はどういう風に感じられるのだろう。同時に、声優が声という演出の全てを握っているわけではない事に改めて気づいた。音量の編集と声優が協力しなければ舞台装置としての声は作れなかったのだ。そこにはキャラクターの声を演じたときに出された声とは考え方を異にする編集の介入があるような気がするが。声優の機転や機微がどれほど生かされるものか。
終始外部なものとして描かれるアナウンスに対して、主要メンバーがアナウンスをしてしまうという夜桜四重奏。いや、今は関係ない。逆に違和感はエヴァ由来だったのかも知れない。

15: 「待ち合わせは無理か。」でミサトさんの顔が登場。この写真からはミサトさんへは飛ばないのね。

16: うおっ綾波が出てきた。相応の意味があるのだろうと予想されるが今の俺には無理だ。意味がないのかも知れない。特に深く考えることなくただ意味深ととられるような描写だけを許した場合視聴者はどうすればいいんだろう。ここでは、おそらく意味はあるのだが。

17: 衝撃波が来る。おそらくだが、鳥が飛び立って目を取られた事はこのカットとつながりがないわけではない。鳥は単なる演出の道具としてではなく、衝撃波を予感して飛んだ、あるいは衝撃波を含めて視線を逸らすための演出の道具なのだ。ここまでのこのアニメには、現象を先に出してその後の絵で理由を説明していく手法がいくつもとられている気がする。(線路を横切ってから全運行停止と表示されるような。)

18: 衝撃波に耳を塞ぐシンジだが指を耳に突っ込む。掌で覆ったりは、しない。素人の動きでは無い。リアリティとは無縁な、単にディテールで魅せるための行為がキャラクターに強いられているのか。キャラクターの本質的なところに迫る行為(というものを分けられればだが)でない程度の事を適度に積み重ねれば雰囲気を作るための有効な手段となるのかも知れない。それとも単にカントクの自慢か。

19: 使徒登場。やっぱり水しぶきのところで水から上がってはいたのか(予想でしかないが)。ヘリコプターがバックしているように見えるのは俺だけか。ヘリコプターですらないようにも見えるが。ヘリコプター?から使徒へ順に見せる事には、視聴者の視覚への演出に加えて、アニメの世界内での、牽制をするにとどまるヘリという設定も兼ねている。まるでヘリが牽引しているようでもあり奇妙。うまい。

20: 進路予想図。使徒に目的地がある事を視聴者に周知する、にはまだ弱いか。対抗する勢力(ここではネルフとも国連ともどちらでもいいが)の存在といったところか。ゲンドウへのつなぎか。

21: 使徒だ。でこっちを見る使徒。かわいい。第一の(本当は三だが)使徒としてのキャラクター性は疑わないとともに、使徒の順番はかなり恣意的だと気づく。最初に、自爆するやつが降って来ていたらおそらくネルフは壊滅する。デザインを受注した使徒を、スタッフのもとでランダムに選出して攻撃させるような事は、可能性としては考えられるが、そうはしない。1話の話から逸脱するが。同時に後に、その順番を死海文書でフォローする事を怠らないという風にも読める。
各使徒のコミュニケーションをとらせない事で初代ウルトラマン的な独立した怪獣という感じは保ちつつ、襲ってくる使徒の目的は一致している(背後にヤプール的なものがいたりもしない)という構図での敵の作り方はなかなか上手い。褒めてるだけだ。

22: 第一話、使徒、襲来
 こっちではちゃんと、かつはじめてBGMが流れる。それ以前から画面に見いっているので最初と比較すベキような効果ではないが。

23: どこから撃ったのか、ビル間をミサイルが飛んだり、ミサイルの第一弾だけ先に爆発して使徒がのけぞったりする。意味も無く駅が爆発したり。エンターテインメント性というか、派手さが目立ってきた。とは言えこの時点で回想するに、始めの静寂から、動くアニメの一転、きっかけというものは無かったように思える。電話をかけるシンジの表情からか。かなりやんわりと入った感じだ。
駅はさっき出てきたものと同じ、じゃない。あえて駅を被爆する対象に選ぶ理由は。民家が無いからだろうか。

24: ヘリっぽい何か。ヘリじゃないなあ。かっこいい。羽の色づけやコックピット部のフレームの張りかたなんかがマクロスっぽいなあ。やられるけれど。ただの感想じゃねえか。
使徒の触手の迫る音→うわあっの叫び声→その後ヘリが貫かれるという順番のつけかたは昨今意識していなかった。撃墜される前にその予兆と叫びがあるべきだったのか。勉強になった。

25: ヘリが爆散せずに落ちる。やられたメカは何かと爆発するつもりでいる自分に気づいた。使徒が飛んだ!飛ぶという意外性に加えて、ヘリを踏みつぶすという意外性を続けて見せる。戦力にならないものも、とりあえずつぶす。使徒は賢くないという表現になるだろうか。別にヘリが攻撃したわけでもなく正面にあっただけなのに、ひどい仕打ちだ。使徒が飛んだ(勿論飛んだ事実だけでなく黄色く光って怪音を発したりする)インパクトにもっていかれている気はするが。

26: 爆風からシンジを守るミサトさん(の車)。ヘリがただのやられ役ではなく、更に次につながる。起こる事象ひとつひとつが順番に結合している。
 一般的な話だが、いい脚本だったと個人的に思うとき、ひとつの特徴としてこういうものを感じる事がある。こういう手法をとると、流れを失わせないとともに、事象ひとつひとつに注目を要するようになるのか。つまり、別個であれば「ただのやられ役なんだろう」という流し方のできたものに「爆風がシンジを襲う」というものを付け足す事で注目しなければいけない時間が伸びる、というかむしろ点から線へ別質化すらしているような。そして時間経過がなければ何のドラマも生じ得ない。意外性に繋がる意が存在しなくなる。褒めすぎた。が、大概、面白く無いと感じるアニメは意図するところが読めすぎることがある。

27: ヘリ(じゃなかったんだが)の続けての攻撃と、爆風に襲われそうになるミサトさん達。いきなり巻き込まれそうになったのは使徒が近くに飛んできたせいだ、というのは気づかないかも知れない。気づかなくても問題ないか。

28: 国連かどっかのおっさん。顔が見えない。顔が見えないのは恣意的な事だろう。この語り口は飽きた。止めながら見るのはここまでにしよう。あれ、後で顔見えてるじゃん。
 

2話ぶん一気に見たので通しての感想を。とは言え、言及すべきエッセンスは4話にあると思う。いや、4話Bを見た自分の頭の中にってことだが。

どうやら俺はガンダムというアニメシリーズを信奉しているようだなあ。SEEDを見ていたときには気づかなかったが。ついついガンダムにはあるべき姿のようなものを考えてしまう。そういう事を考えられるアニメだという事が魅力だとも思うので、そのまま書いてしまうが。

4話Bパート冒頭から、サジにガンダムマイスターの素性についてちょっと話す。彼らは戦争を経験して、戦争を駆逐しようとする。そのために戦争をするという構図はおいておくとして、少し面白いと思ったのは、一歩引いて見ればその彼らこそ視聴者にとってはヒーローであるということ。
自分のような人間を出さないような世界を作るため戦う彼らがヒーローとして現れた場合、戦いのない新しい世界では視聴者の抱いたヒーローへの憧れはどこへ行けばいいのか。

ガンダム00は、ガンダムをヒーローとして初っ端から作り上げ言及しつづけている、ガンダム『シリーズ』あってこその作品という風に思う事が多いんだが、だからこそシリーズの中でも特にこの問題が浮き彫りになる気がする。

刹那がオーガンダムを見て、ガンダムに憧れ信奉する、結果として彼はガンダムマイスターに「仕立て上げられる」と見ると。視聴者がガンダムマイスターを見て闘う彼らに憧れたとき、俺達はガンダムマイスターになればいいんだろうか。これは前のヒーローの望んだ結果では決してないが。
前者と後者にはアニメの世界と現実の世界の壁を挿んでいるか否かという違いがあるとしても。むしろそれがアニメのえげつないところだとも言える。

トランザム発動の前後に関わらず、依然彼らは自己消滅的でありつづけていたようだ。アニメではそういうものをヒーローとして描かねばならない。結果彼らの与える影響は望んだものとはズレてくる。いくつかのガンダムには作品中の世界への影響というレベルでも当てはまるだろう構図だなあ。

アニメの限界をさぐるときついガンダムなんかを槍玉にあげてしまうのはよくないと思うが。そういった事に耐えられる作品こそがっつり見たいようなタイプなんだよなあ。本来はエンターテインメントとしての是非という枠から出ずに言及すべきなんだろうが。戦う理由はやっぱり私情なのねっていう事に関しても何か思った筈だが忘れてしまった。こんな事を書くつもりではなかったがそういうものか。
現行のアニメで感想を書いたものがこれだけだった。もったいないので移動。以下。


予想・・・期待、していたよりもハッとさせられるような始まり方ではなかったように思う。どうだろう。

視聴者は・・・というか、俺だが、俺は2クールの間彼等の変革を待ち望んでいた。変革という言葉は英雄であるガンダムの活躍と言い換えても構わない。

対して彼等もアニメの世界のなかで数年の間、変革を起こすのを待ち望み、時を得て行動し先ずソレスタルビーイングの復興をはかろうとする。

単純に、ここに視聴者と登場人物のタイムラグがあるということか。刹那に象徴されるソレスタルビーイングに着目して考えると、第一に彼等はまだ世界に変革を起こせてはいないし、第二に彼等自身の組織にも変革を求めてはいない。

むしろこの第二の問題、ソレスタルビーイングがかつてのメンバーを復帰させるという点は、変革という思想と行き違いを起こしているように思えてしまう。ロックオンの弟を迎える事、飲んだくれた指揮官を再び迎える事、いわばアレルヤの奪還までが変革とはほど遠い行動のように思える。

つまり視聴者の求める変革はまだ起こってはいない。(いなかった、であり、ダブルオーの起動をそのシンボルとして描いたのかも知れないが、これはちょっと演出が弱かったように思える。)これが期待はずれのように見えてしまう。彼等のアクションは現状、かつての復帰を目指しており視聴者の想定を裏切る事がないという点で期待はずれだ。実際のところはソレスタルビーイングも、黒田洋介もまだ来たるべき変革を待っている状態であり、それを責める事はできないのだが。

ソレスタルビーイングの姿勢はともかくとしても、作り手側、構成の姿勢は好意的に受け止められるところがあるように見える。ルイスとサジの二人の伏線を早急に回収し、アレルヤも出来るだけ早くメンバーに迎え入れる。1、2話に多少詰め込むことになったが、各勢力にも既に動きがある。このペースだと1期目からの伏線を最後まで持っていくような事はないのではないだろうか。黒田洋介は早くガンダム00を始めようとしているように見える。

そして来たるべきガンダム00は1期目からの伏線から解放したうえで描かれることを、期待する。登場人物の過去との宿命の対決、そして自分の存在意義との対決を描いてきた1期に対して、今後の彼等は過去の、1期目で現れた敵を振り払い、更に先に進むことができるんだろうか。少なくとも俺が求めているのは、これみたいだ。

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