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2話ぶん一気に見たので通しての感想を。とは言え、言及すべきエッセンスは4話にあると思う。いや、4話Bを見た自分の頭の中にってことだが。

どうやら俺はガンダムというアニメシリーズを信奉しているようだなあ。SEEDを見ていたときには気づかなかったが。ついついガンダムにはあるべき姿のようなものを考えてしまう。そういう事を考えられるアニメだという事が魅力だとも思うので、そのまま書いてしまうが。

4話Bパート冒頭から、サジにガンダムマイスターの素性についてちょっと話す。彼らは戦争を経験して、戦争を駆逐しようとする。そのために戦争をするという構図はおいておくとして、少し面白いと思ったのは、一歩引いて見ればその彼らこそ視聴者にとってはヒーローであるということ。
自分のような人間を出さないような世界を作るため戦う彼らがヒーローとして現れた場合、戦いのない新しい世界では視聴者の抱いたヒーローへの憧れはどこへ行けばいいのか。

ガンダム00は、ガンダムをヒーローとして初っ端から作り上げ言及しつづけている、ガンダム『シリーズ』あってこその作品という風に思う事が多いんだが、だからこそシリーズの中でも特にこの問題が浮き彫りになる気がする。

刹那がオーガンダムを見て、ガンダムに憧れ信奉する、結果として彼はガンダムマイスターに「仕立て上げられる」と見ると。視聴者がガンダムマイスターを見て闘う彼らに憧れたとき、俺達はガンダムマイスターになればいいんだろうか。これは前のヒーローの望んだ結果では決してないが。
前者と後者にはアニメの世界と現実の世界の壁を挿んでいるか否かという違いがあるとしても。むしろそれがアニメのえげつないところだとも言える。

トランザム発動の前後に関わらず、依然彼らは自己消滅的でありつづけていたようだ。アニメではそういうものをヒーローとして描かねばならない。結果彼らの与える影響は望んだものとはズレてくる。いくつかのガンダムには作品中の世界への影響というレベルでも当てはまるだろう構図だなあ。

アニメの限界をさぐるときついガンダムなんかを槍玉にあげてしまうのはよくないと思うが。そういった事に耐えられる作品こそがっつり見たいようなタイプなんだよなあ。本来はエンターテインメントとしての是非という枠から出ずに言及すべきなんだろうが。戦う理由はやっぱり私情なのねっていう事に関しても何か思った筈だが忘れてしまった。こんな事を書くつもりではなかったがそういうものか。
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