カレンダー
03 | 2024/04 | 05 |
S | M | T | W | T | F | S |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | |
7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 |
14 | 15 | 16 | 17 | 18 | 19 | 20 |
21 | 22 | 23 | 24 | 25 | 26 | 27 |
28 | 29 | 30 |
最新記事
(11/08)
(11/01)
(10/27)
(10/27)
ブログ内検索
最古記事
(10/27)
(10/27)
(11/01)
(11/08)
×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
エヴァンゲリオンのOP部分。途中になっているが、それはそれで。
各カットについて、何が描いてあるか読み取ろうとすることは本編(のはじめの3分だけだが)でやったので、OPではあえてこれをしない。
むしろこのOPは各カットに与えられた時間が極端に短い、意図的に一時停止しながら見られる事に耐えるようにしてあるように思う。これを一カットずつばらす分析の仕方は演出の手中にハマっているという気がする、のはエヴァンゲリオンの解説本の読み過ぎなのかもしれないが。あくまで、エヴァ自体の分析にならないようにしておかなければいけないことに注意しよう。俺が。
そして、改めて思考から書く事にする。昨日までに書いた事は現象学的でないと寝て思った。
OP冒頭からタイトルまで、基本はバックの色の移り変わりだが、線として描かれているものもある。とはいえどちらも何を示しているのかよくわからない。まず黒い画面にしずくが落ちて、波紋のようなものが描かれる。画面は赤(使徒っぽい顔のある絵)→青(木からユラユラ)へと移り変わる。
まず個人的に、この色の移り変わりには奇妙さしかおぼえない。アニメーションが始まってから、この段階までに黒・赤・青しか色が出てきていない(しかもそれは、キャラクターやオブジェクトに与えられた配色のように、「あるべき」と意識できる色ではない)ので、意識の中で色を相対化できない。このアニメにおける一般的な配色が分からない。赤が海の色でない可能性を否定できないような状態になる、偶然だが。直感として特に何も連想する事が無かった。
次に線として描かれているもの、についても知識が無いのでなにも言えない。何か意味はあるのであろう、という事を予想するしかない。むしろ、そう思わせるためだけの演出のようにも感じられすらする。この点がおそらくこのOPの特異的かつ上手いところで、誰しもがわかるようには作られていない。あるいは、誰もわかるようには作られていない。そして映像作品としてそういうものを許してしまうところに面白さがあるように思う。
その後ものすごいフラッシュ。という印象は、白黒が入れ替わっている「ほどの」光と見える印象からか。音楽とあわせているようだ。
タイトルロゴではじめてカラフルなもの、あるべき色のついたものが描かれる。ロゴそのもにだけれど。同時にロゴのバックで最初と同じ(と俺は思う)波紋が広がるのが描かれる。なにかはわからないが、同じものと直感した事だけ書いておく。
その後さきほどのフラッシュとおなじ描かれ方をした光が白黒反転して描かれる。
ロゴの後は、OPとしては異例の長さでさほどの動きのないシンジが映っているように感じられた。同時にシルエットによってキャラクター紹介的なアニメのOPとしての使命を果たそうとしているように見えるが、それに正面に映っているはずのシンジ自身も含まれているのがミソか。
同じようにミサトさんも描かれる。バックはオレンジ色だが、シンジの青色との対比という風には感じられない。のは、きっとエヴァでのちのち出てくる溶液の色だとわかっているからだろうが。要素を並べて無駄に情報量をかせいだようにも見えるが。ここは逆にバックに映る人物が絵付きで、正面がシルエットで描かれるが、偶然かどうか。単に絵としての映えとか、裸のミサトさんを描いていいものかといった視点を欠いてはいけない気がする。
パカパカといろいろなカットが挿入されるが、ひとつひとつ見ることはせずに、まとめて単にエヴァンゲリオンの起動過程だと捉えるのがいいと思う。動き出すシンジとエヴァ。ここでもう一度パカパカが入るが、登場人物の顔である。これをあえて、要請された演出と見る視点があってもいいように思う。というか、そう思った。最初に起動過程のカットを挿入してしまった「あまりに、」(これはドラグナー等のパロディーあるいは定番のサービスだと考えられる)ここにもキャラクターの顔を入れざるを得なくなったという風に見ることは可能だとおもう。
その後エヴァンゲリオンのシーンに戻る。かっこいい。手をクロスして開くかっこいい動きをしているが、止めながら見ると不自然な、かっこつけた動きであるとは思った。だからどうだとは言わないが、ガンダムのような単なる機械ではなく、中に人が入っているという事でこれが許されるか。逆に機械的な動きだけをするロボットだと最初に印象づけることが出来たのかもしれない。
伸びてくる羽の線の太さが、OP冒頭の絵と同じように描かれていることに注目すべきだろうか。
このアニメのパカパカするカット(のひとつひとつに大きな意味があるという態度)に批判的な姿勢をとりづつけると、サビ部分のパカパカも並べただけ、並べることを演出に仕立て上げることで許しを請うているように感じることはできるはずだ。許しという印象を受けるのは実際許していい手法であると感じられるからだろうが。実際、本編の使いまわしではないかと思うカットもいくつかある。
同時に、一時停止で見させようとしているという意図も
各カットについて、何が描いてあるか読み取ろうとすることは本編(のはじめの3分だけだが)でやったので、OPではあえてこれをしない。
むしろこのOPは各カットに与えられた時間が極端に短い、意図的に一時停止しながら見られる事に耐えるようにしてあるように思う。これを一カットずつばらす分析の仕方は演出の手中にハマっているという気がする、のはエヴァンゲリオンの解説本の読み過ぎなのかもしれないが。あくまで、エヴァ自体の分析にならないようにしておかなければいけないことに注意しよう。俺が。
そして、改めて思考から書く事にする。昨日までに書いた事は現象学的でないと寝て思った。
OP冒頭からタイトルまで、基本はバックの色の移り変わりだが、線として描かれているものもある。とはいえどちらも何を示しているのかよくわからない。まず黒い画面にしずくが落ちて、波紋のようなものが描かれる。画面は赤(使徒っぽい顔のある絵)→青(木からユラユラ)へと移り変わる。
まず個人的に、この色の移り変わりには奇妙さしかおぼえない。アニメーションが始まってから、この段階までに黒・赤・青しか色が出てきていない(しかもそれは、キャラクターやオブジェクトに与えられた配色のように、「あるべき」と意識できる色ではない)ので、意識の中で色を相対化できない。このアニメにおける一般的な配色が分からない。赤が海の色でない可能性を否定できないような状態になる、偶然だが。直感として特に何も連想する事が無かった。
次に線として描かれているもの、についても知識が無いのでなにも言えない。何か意味はあるのであろう、という事を予想するしかない。むしろ、そう思わせるためだけの演出のようにも感じられすらする。この点がおそらくこのOPの特異的かつ上手いところで、誰しもがわかるようには作られていない。あるいは、誰もわかるようには作られていない。そして映像作品としてそういうものを許してしまうところに面白さがあるように思う。
その後ものすごいフラッシュ。という印象は、白黒が入れ替わっている「ほどの」光と見える印象からか。音楽とあわせているようだ。
タイトルロゴではじめてカラフルなもの、あるべき色のついたものが描かれる。ロゴそのもにだけれど。同時にロゴのバックで最初と同じ(と俺は思う)波紋が広がるのが描かれる。なにかはわからないが、同じものと直感した事だけ書いておく。
その後さきほどのフラッシュとおなじ描かれ方をした光が白黒反転して描かれる。
ロゴの後は、OPとしては異例の長さでさほどの動きのないシンジが映っているように感じられた。同時にシルエットによってキャラクター紹介的なアニメのOPとしての使命を果たそうとしているように見えるが、それに正面に映っているはずのシンジ自身も含まれているのがミソか。
同じようにミサトさんも描かれる。バックはオレンジ色だが、シンジの青色との対比という風には感じられない。のは、きっとエヴァでのちのち出てくる溶液の色だとわかっているからだろうが。要素を並べて無駄に情報量をかせいだようにも見えるが。ここは逆にバックに映る人物が絵付きで、正面がシルエットで描かれるが、偶然かどうか。単に絵としての映えとか、裸のミサトさんを描いていいものかといった視点を欠いてはいけない気がする。
パカパカといろいろなカットが挿入されるが、ひとつひとつ見ることはせずに、まとめて単にエヴァンゲリオンの起動過程だと捉えるのがいいと思う。動き出すシンジとエヴァ。ここでもう一度パカパカが入るが、登場人物の顔である。これをあえて、要請された演出と見る視点があってもいいように思う。というか、そう思った。最初に起動過程のカットを挿入してしまった「あまりに、」(これはドラグナー等のパロディーあるいは定番のサービスだと考えられる)ここにもキャラクターの顔を入れざるを得なくなったという風に見ることは可能だとおもう。
その後エヴァンゲリオンのシーンに戻る。かっこいい。手をクロスして開くかっこいい動きをしているが、止めながら見ると不自然な、かっこつけた動きであるとは思った。だからどうだとは言わないが、ガンダムのような単なる機械ではなく、中に人が入っているという事でこれが許されるか。逆に機械的な動きだけをするロボットだと最初に印象づけることが出来たのかもしれない。
伸びてくる羽の線の太さが、OP冒頭の絵と同じように描かれていることに注目すべきだろうか。
このアニメのパカパカするカット(のひとつひとつに大きな意味があるという態度)に批判的な姿勢をとりづつけると、サビ部分のパカパカも並べただけ、並べることを演出に仕立て上げることで許しを請うているように感じることはできるはずだ。許しという印象を受けるのは実際許していい手法であると感じられるからだろうが。実際、本編の使いまわしではないかと思うカットもいくつかある。
同時に、一時停止で見させようとしているという意図も
PR
この記事にコメントする